ひらりさのリカバリーストーリー。
自分を扱えるようになってきた。
リカバリーストーリーの趣旨に賛同し、ひらりささんが、ご自身のリカバリーストーリーをお話くださいました!
01:26 正直に言葉にする。
02:02 自分自身の性質。
02:43 一番でいられた世界。
03:40 「もっとできる人」がいる世界。
04:19 成績という物差し。
05:10 この道で良いのだろうか。
05:52 諦めることを認められない。
06:40 震災が教えてくれた本音。
07:34 ラベルのために生きない。
08:53 比べずにはいられない。
09:31 誰かの幸せに急かされて。
10:59 自分は自分、他人は他人。
11:45 フェミニズムとの邂逅。
12:33 「こうあるべき」をほどいていく。
13:23 キルジョイという希望。
14:03 幸せの鋳型を手放して。
14:45 治るのではなく、扱えるようになる。
スクリプト・文字起こし
リカバリーストーリーは、様々なゲストに悩みから立ち直った経験や、日頃のストレス解消法を自由に語ってもらうポッドキャストです。 今回のテーマは、私のリカバリーストーリーです。
初めましての皆さんこんにちは。
文筆家のひらりさです。
普段は会社員として働きながら、文筆家としても活動しています。
これまで女性たちのお金や欲望について取材したインタビュー集「沼で溺れてみたけれど」や、自分自身の女性としての生きづらさや、社会に対する違和感を描いたエッセイ「それでも女をやっていく」を発表してきました。 最新作となるエッセイ「まだまだ大人になれません」では、現在あの、結婚や出産などを特にしないまま、独身の36歳として生きているんですけれども、そういう立場から、生活の積み重ねの中で、大人になるってどうしたらいいんだろう、こうわかりやすいライフステージだったり、お金を稼いだとか、こういう社会的地位についたっていうところに、こうこだわらないで、自分自身、大人になったねって認められるような、自分自身をね、肯定していく方法を模索するっていう内容を書いておりまして、 エッセイだったり、コラムだったり、日々のSNSの発信、ポッドキャストなどもそういった方向でお届けしてきております。
01:26
正直に言葉にする。
ちゃんと生きたいのにうまくできないとか、幸せって本当にこれだけなんだろうかっていう気持ちについて、みっともないなあと思う時もあるんですけど、そういうところを正直に話すのが、言葉にしたりですとか、色々な方と一緒に話し合ったりするのが好きで、そういう活動を続けております。
はい、そんな中でね、今回あのリカバリーストーリーのポッドキャストにお呼びいただいたんですけれども、今回の私のリカバリーストーリーというテーマでは、悩みから立ち直った経験についてお話しするということで聞いております。
02:02
自分自身の性質。
そうですね、私の場合、まーあのー 大きな挫折はね、経験していないような気がするんですよね。
例えばこう、結婚して離婚しましたとか、子育ての中で、こう大きく子供と衝突がありましたみたいな、あのー経験とかは分かりやすいのかなと思ったりするんですけど、結構ね、独身で一人で生きているって時に、そんなにこう、大きな立ち直れないような失敗って意外と思いつかないんですよね。
ただまーやっぱり、こう人と比べて小さく落ち込んでしまう性質は昔からあるなと思っております。
02:43
一番でいられる世界。
私は結構大学時代まではかなりガリ勉でして、大学もあの東京大学というところを卒業しております。
当時は法学部に入学してまして、そこまでも幸い順調に学力が伸びて、高校時代までは模試で1番を取ることもちょくちょくあったんですね。なので将来の夢も、弁護士になって、社会的地位だったり、お金だったりを稼いだり、みたいな結構キラキラしたイメージを持っていて、そこまで頑張るぞっていうふうに思っていたんですよね。無事、その志望大学の志望学部に入るところまではできたんですけど、上には上がいるんですよね。なんにも苦にせず、1日何時間でも法律の勉強が出来て、思考を深められて、いい成績を出して、そんなにこうヒーヒー言っていない人たちを目の当たりにしました。
03:40
「もっとできる人」がいる世界。
自分の中で法律の勉強がしたいとか、弁護士になりたいっていうこと以上に、多分当時、勉強頑張れていたのが1番に自分がなれるジャンルっていうのが、その時は勉強だったんですよね。 でも、それでどうにかトップレベルと言われる大学にいざ入ってみたら、「もっとできる人全然いるじゃん」というふうに気づきまして、ここでは一番になれないっていうところでかなり落ち込んじゃったんですよね。
というか、実際に毎週の試験勉強や学校の成績で自分を評価する癖がついてしまってたんだなあと思いますね。
04:19
成績という物差し。
それこそ、中高時代も2週間に1回は模試の成績が出てて、それで一喜一憂もするんですけれども、なんか結果が出るっていうこと自体にすごく肯定されていて、安心してたっていうのがありますね。 大学の成績とかってなってくると、別にそんなに頻繁に順位が出るわけではないので、学期末の結果で大きく落ち込んだり、ホッとしたりっていうのがありますし、そこから、なんだろうな、もっとその目先の数字では、でもわからないような、この勉強への向き合い方みたいなのを、深く、私より深くできている人たちと出会って、なんか私ってすごい上っ面だったんだなみたいなことに気づいたのが大学生活でしたね。
05:10
この道でいいのだろうか。
そういう中でも、自分の順位が中の上ぐらいである法科大学院に進学して弁護士を目指そうと思っていたので、模試なりなんなり、多少そういう数字を確認する機会があるんですけど、そこではっきり中の上ということを突きつけられてからは、本当にこの進路でいいんだろうかっていう不安に駆られるようになりましたね。 それでもこう、法律の資格を取って、人を救いたいとか、社会のためになりたいっていう気持ちが大きければ、どうにかかじりついたと思うんですけど、多分、法律の勉強がそんなにやりたかったわけではないのかなと、今は思っています。
05:52
諦めることを認められない。
大学生の時に、今だから明かせるんですけれども、結構うつ病と言えるような状態になってしまって、大学の保健センターに通って、抗精神薬をもらう毎日になったんですね。
ただ、結構根が頑固なところがありまして、そこで「じゃあやめよう」と、なれなくてですね、法科大学院に合格するまでに投げ出すと、自分ができないっていうことを認めることになるじゃないですか。別にそんなにやりたくないからやめるって割り切れたらよかったんですけど、うまくできなくて惨めな思いをするのが嫌で、やりたくない言い訳に、諦めようとしているんじゃないかと悩んでしまったんですね。
06:40
震災が教えてくれた本音。
で、そこにですね、実は私大学4年生になる年が、東日本大震災の起きた2011年だったんですね。
お茶の水の予備校で、法科大学院受験の入試を受けている時に震災が起きまして、その時に、「明日死ぬなら法律の勉強してたくないな、もっとやりたいことあるな」ってようやく認められたんですよね。まあ、その後もすぐに進路転換することができなくて、結局、法科大学院受験の勉強も続けて受験をした上で、結果を見てから、やっぱりできた、無事合格したんですよ。合格したけどやっぱりやりたくないなというところまで確認して、慌てて就職活動をして、ウェブメディアの編集者に就職したというのが、大学4年の顛末でした。
07:34
ラベルのために生きない。
本当にそこでかなり適当な就職活動をしてしまったので、その後結構パワハラ、セクハラ満載の職場に入りまして、苦労することになったのはちょっとまあ別の話としまして。でもやっぱりあの時自分のやりたいことに向き合わずに、合格できたしってことで、法科大学院に進んでいたら、どうなったんだろうな。うーん。結果的にもしかしたら、まあそんなに成績悪かったわけではないんですよね。別にビリッケツでボーダーラインってわけではなかったので、そんなに不安になっていたのも今にして思えばおかしいんですけれども、結果的に弁護士になれていた可能性がそれなりにあるっていう時に、でも結局そのどうにかいい成績を取れた自分とか、弁護士である自分というラベルでしか自分を愛せずに、暗い人生を送っていた気がするので、あの時にこう、まあこう、最適解というか、大正解の進路を取れたわけじゃないけれども、 あのベターな自分の人生をより良くしていく上で、自分であの時こう進路を選び直したのは本当に良かったなと思ってます。
08:53
比べずにはいられない。
うん。まあね、あのー、とはいえ、会社に入ってからも、人と比べていちいち落ち込むという性質自体は残ったんですよね。
文筆家という自由で常識にとらわれない職業にね、今でこそ着いたという風に見てもらうことが多いんですけど、今でもめちゃくちゃ人と比べちゃいますね。というのもやっぱりこうソーシャルメディアの発達ですとか、文筆家として本を出していると、人に数字が見えるし、自分にも毎日突きつけられるんですよね。
人とSNSのフォロワー数を比べたりですとか、自分の本が重版しなくて一喜一憂したり。
09:31
誰かの幸せに急かされて。
そうですね、女性としての生き方についても、SNSを通じて、こう誰が結婚したとか、誰が子供生まれたとか、誰がこう華やかな毎日を送ってるかとかがすごく見えちゃう世の中になりましたよね。
20代のうちはだから、人が結婚するたびに、私も出会いを探さないとと、慌ててマッチングアプリを始めたりですとか、結婚相談所に相談に行ってみたりとかも実はしていました。でもいざ誰かから告白されて付き合ってみたりですとか、マッチングアプリで知り合った人と話が弾んで、じゃあ2回目3回目のデートっていうふうに進んでいった時に、なんかその目的、こう交際とか結婚っていう目的で満たして安心したい自分もいるけれども、なんかそれが気持ち悪い、周りのこう状況からドライブされて生まれている欲望であることは明らか、今にして思えば明らかなんですよね。
ただ当時の自分はそれをはっきりはわかっていないけれども、そういう状態に気持ち悪さは感じていて、こうウジウジして結局お付き合いお断りしたりとか、なんかこうちょっと変なこじらせ方をしちゃって揉めちゃったりみたいなことも結構ありましたね。
うん。今にして思えば最悪の人間だったなと本当に20代の頃は思いますね。
10:59
自分は自分、他人は他人。
正直、自分の性質を乗り換えたとは今でも言いがたい部分があります。でもだいぶ折り合いをつけられるようになりました。
その理由を考えると、色々な生き方をしている友人ができたのは大きいです。これは私が東京に住んでいる編集者としてキャリアを始めて、文筆家になったことで、さらにフットワーク軽く色々な場所に出かけられたっていうのが良かったんだと思います。
世の中には独身の人もたくさんいますし、お金を稼ぐことや有名になることに価値を置いてない人っていうのもたくさんいるわけですよね。価値観にとらわれない人間関係を作ったことで、自分は自分、他人は他人、お金や名声がすべてじゃないと、半分ぐらいは本気で思えるようになりましたね。
11:45
フェミニズムとの邂逅。
もう一つ大きかったなって思うのが、フェミニズムを学んだことですね。
あの女性の生き方だったりについて文章を発信する中で、フェミニズムの観点、男女平等の観点とか、その女性についてのステレオタイプをこの人の文章は固定化するんじゃないかみたいな、こう批評をいただくこととかも増えて、世間的にあの「MeToo」の流れなどもあって、女性と男性の不平等について何か声を上げていこうっていう動きがある中で、文筆家という文章を書いて世に発信している仕事をしている身としても、こう何にどう、こう声を上げたりとか、世の中の色々なことについて細かく自問自答することが増えたんですよね。
12:33
「こうあるべき」をほどいていく。
フェミニズムというと、男女の性差を是正していく社会運動という側面が強いと思うし、事実そこも私も支持していて、そこから興味を持ったんですけれども、女性だから、男性だからという、ステレオタイプがいかに社会的に作り上げられているかっていう話って、実は大きく広げていくと、性別に限らないわけですよね。日本人だからとか、若いからとか、もう年取ったからこういうの無理だよね、みたいに、結構ステレオタイプのイメージで、こう諦めてしまってることって色々あると思うし、もっと広げていくと、世間で思われている幸せとか、あの「良い」とされてることっていうのも、別に絶対的な真偽じゃなくて、人それぞれだよねっていう考え方に広がっていくんですよね。
13:23
キルジョイという希望。
私がフェミニズムを勉強した中で、すごくこういいなって思ったのが、サラ・アーメッド(Sara Ahmed)というフェミニストの学者の方がいましてですね、この人は、フェミニストというのは、キルジョイする存在、キルジョイ(Killjoy)っていうのは、他人の喜びを奪ったり、興覚めさせたりする存在である、と言ってるんですね。でもこれって要は、なんかすごいネガティブなイメージに聞こえるかもしんないけれども、こう世間から押し付けられる幸せとか、良かれと思って、あなたに良かれと思って言ってるんだよ、みたいな、規範的な考え方に対してわきまえない人であるというふうに言い換えられると思うんですよね。
14:03
幸せの鋳型を手放して。
どうして自分は世間の言う幸せにうまくはまれないんだろうと悩んでいた時期もありましたが、その幸せっていうのも、あのまある種の鋳型、こう金属をね、あの固める時のあの鋳型ですね。あの画一的なものなんだなって思えるようになってから、だいぶ生きやすくなりましたね。本や学問は、自分が自分の人生を生きるだけでは得られない視点を通じて、人生を生きやすくしてくれるなあと思って、そのフェミニズムを学ぶようになってから、その学校の成績がどうとか、勉強がよくできると嬉しいとか、そういうことではない、こう学ぶっていうことの楽しさに触れられたなと思います。
14:45
治るのではなく、扱えるようになる。
私は今でもね、人と比べて落ち込んじゃうことはやっぱりあるんですよ。
でも比べてしまう自分を消そうとするより、そういう性質なんだなって思えるようになってきました。リカバリーストーリーというテーマで回復について今日は語るということだったんですけれども、私の中では回復って、傷が消えることではなくて、そういう傷跡も含めて、自分の扱い方が少しずつわかってくるっていうことなのかなと思ってます。
以上が私のリカバリーストーリーでした。皆さんのお役に立てれば幸いです。
ありがとうございました。
初めましての皆さんこんにちは。
文筆家のひらりさです。
普段は会社員として働きながら、文筆家としても活動しています。
これまで女性たちのお金や欲望について取材したインタビュー集「沼で溺れてみたけれど」や、自分自身の女性としての生きづらさや、社会に対する違和感を描いたエッセイ「それでも女をやっていく」を発表してきました。 最新作となるエッセイ「まだまだ大人になれません」では、現在あの、結婚や出産などを特にしないまま、独身の36歳として生きているんですけれども、そういう立場から、生活の積み重ねの中で、大人になるってどうしたらいいんだろう、こうわかりやすいライフステージだったり、お金を稼いだとか、こういう社会的地位についたっていうところに、こうこだわらないで、自分自身、大人になったねって認められるような、自分自身をね、肯定していく方法を模索するっていう内容を書いておりまして、 エッセイだったり、コラムだったり、日々のSNSの発信、ポッドキャストなどもそういった方向でお届けしてきております。
01:26
正直に言葉にする。
ちゃんと生きたいのにうまくできないとか、幸せって本当にこれだけなんだろうかっていう気持ちについて、みっともないなあと思う時もあるんですけど、そういうところを正直に話すのが、言葉にしたりですとか、色々な方と一緒に話し合ったりするのが好きで、そういう活動を続けております。
はい、そんな中でね、今回あのリカバリーストーリーのポッドキャストにお呼びいただいたんですけれども、今回の私のリカバリーストーリーというテーマでは、悩みから立ち直った経験についてお話しするということで聞いております。
02:02
自分自身の性質。
そうですね、私の場合、まーあのー 大きな挫折はね、経験していないような気がするんですよね。
例えばこう、結婚して離婚しましたとか、子育ての中で、こう大きく子供と衝突がありましたみたいな、あのー経験とかは分かりやすいのかなと思ったりするんですけど、結構ね、独身で一人で生きているって時に、そんなにこう、大きな立ち直れないような失敗って意外と思いつかないんですよね。
ただまーやっぱり、こう人と比べて小さく落ち込んでしまう性質は昔からあるなと思っております。
02:43
一番でいられる世界。
私は結構大学時代まではかなりガリ勉でして、大学もあの東京大学というところを卒業しております。
当時は法学部に入学してまして、そこまでも幸い順調に学力が伸びて、高校時代までは模試で1番を取ることもちょくちょくあったんですね。なので将来の夢も、弁護士になって、社会的地位だったり、お金だったりを稼いだり、みたいな結構キラキラしたイメージを持っていて、そこまで頑張るぞっていうふうに思っていたんですよね。無事、その志望大学の志望学部に入るところまではできたんですけど、上には上がいるんですよね。なんにも苦にせず、1日何時間でも法律の勉強が出来て、思考を深められて、いい成績を出して、そんなにこうヒーヒー言っていない人たちを目の当たりにしました。
03:40
「もっとできる人」がいる世界。
自分の中で法律の勉強がしたいとか、弁護士になりたいっていうこと以上に、多分当時、勉強頑張れていたのが1番に自分がなれるジャンルっていうのが、その時は勉強だったんですよね。 でも、それでどうにかトップレベルと言われる大学にいざ入ってみたら、「もっとできる人全然いるじゃん」というふうに気づきまして、ここでは一番になれないっていうところでかなり落ち込んじゃったんですよね。
というか、実際に毎週の試験勉強や学校の成績で自分を評価する癖がついてしまってたんだなあと思いますね。
04:19
成績という物差し。
それこそ、中高時代も2週間に1回は模試の成績が出てて、それで一喜一憂もするんですけれども、なんか結果が出るっていうこと自体にすごく肯定されていて、安心してたっていうのがありますね。 大学の成績とかってなってくると、別にそんなに頻繁に順位が出るわけではないので、学期末の結果で大きく落ち込んだり、ホッとしたりっていうのがありますし、そこから、なんだろうな、もっとその目先の数字では、でもわからないような、この勉強への向き合い方みたいなのを、深く、私より深くできている人たちと出会って、なんか私ってすごい上っ面だったんだなみたいなことに気づいたのが大学生活でしたね。
05:10
この道でいいのだろうか。
そういう中でも、自分の順位が中の上ぐらいである法科大学院に進学して弁護士を目指そうと思っていたので、模試なりなんなり、多少そういう数字を確認する機会があるんですけど、そこではっきり中の上ということを突きつけられてからは、本当にこの進路でいいんだろうかっていう不安に駆られるようになりましたね。 それでもこう、法律の資格を取って、人を救いたいとか、社会のためになりたいっていう気持ちが大きければ、どうにかかじりついたと思うんですけど、多分、法律の勉強がそんなにやりたかったわけではないのかなと、今は思っています。
05:52
諦めることを認められない。
大学生の時に、今だから明かせるんですけれども、結構うつ病と言えるような状態になってしまって、大学の保健センターに通って、抗精神薬をもらう毎日になったんですね。
ただ、結構根が頑固なところがありまして、そこで「じゃあやめよう」と、なれなくてですね、法科大学院に合格するまでに投げ出すと、自分ができないっていうことを認めることになるじゃないですか。別にそんなにやりたくないからやめるって割り切れたらよかったんですけど、うまくできなくて惨めな思いをするのが嫌で、やりたくない言い訳に、諦めようとしているんじゃないかと悩んでしまったんですね。
06:40
震災が教えてくれた本音。
で、そこにですね、実は私大学4年生になる年が、東日本大震災の起きた2011年だったんですね。
お茶の水の予備校で、法科大学院受験の入試を受けている時に震災が起きまして、その時に、「明日死ぬなら法律の勉強してたくないな、もっとやりたいことあるな」ってようやく認められたんですよね。まあ、その後もすぐに進路転換することができなくて、結局、法科大学院受験の勉強も続けて受験をした上で、結果を見てから、やっぱりできた、無事合格したんですよ。合格したけどやっぱりやりたくないなというところまで確認して、慌てて就職活動をして、ウェブメディアの編集者に就職したというのが、大学4年の顛末でした。
07:34
ラベルのために生きない。
本当にそこでかなり適当な就職活動をしてしまったので、その後結構パワハラ、セクハラ満載の職場に入りまして、苦労することになったのはちょっとまあ別の話としまして。でもやっぱりあの時自分のやりたいことに向き合わずに、合格できたしってことで、法科大学院に進んでいたら、どうなったんだろうな。うーん。結果的にもしかしたら、まあそんなに成績悪かったわけではないんですよね。別にビリッケツでボーダーラインってわけではなかったので、そんなに不安になっていたのも今にして思えばおかしいんですけれども、結果的に弁護士になれていた可能性がそれなりにあるっていう時に、でも結局そのどうにかいい成績を取れた自分とか、弁護士である自分というラベルでしか自分を愛せずに、暗い人生を送っていた気がするので、あの時にこう、まあこう、最適解というか、大正解の進路を取れたわけじゃないけれども、 あのベターな自分の人生をより良くしていく上で、自分であの時こう進路を選び直したのは本当に良かったなと思ってます。
08:53
比べずにはいられない。
うん。まあね、あのー、とはいえ、会社に入ってからも、人と比べていちいち落ち込むという性質自体は残ったんですよね。
文筆家という自由で常識にとらわれない職業にね、今でこそ着いたという風に見てもらうことが多いんですけど、今でもめちゃくちゃ人と比べちゃいますね。というのもやっぱりこうソーシャルメディアの発達ですとか、文筆家として本を出していると、人に数字が見えるし、自分にも毎日突きつけられるんですよね。
人とSNSのフォロワー数を比べたりですとか、自分の本が重版しなくて一喜一憂したり。
09:31
誰かの幸せに急かされて。
そうですね、女性としての生き方についても、SNSを通じて、こう誰が結婚したとか、誰が子供生まれたとか、誰がこう華やかな毎日を送ってるかとかがすごく見えちゃう世の中になりましたよね。
20代のうちはだから、人が結婚するたびに、私も出会いを探さないとと、慌ててマッチングアプリを始めたりですとか、結婚相談所に相談に行ってみたりとかも実はしていました。でもいざ誰かから告白されて付き合ってみたりですとか、マッチングアプリで知り合った人と話が弾んで、じゃあ2回目3回目のデートっていうふうに進んでいった時に、なんかその目的、こう交際とか結婚っていう目的で満たして安心したい自分もいるけれども、なんかそれが気持ち悪い、周りのこう状況からドライブされて生まれている欲望であることは明らか、今にして思えば明らかなんですよね。
ただ当時の自分はそれをはっきりはわかっていないけれども、そういう状態に気持ち悪さは感じていて、こうウジウジして結局お付き合いお断りしたりとか、なんかこうちょっと変なこじらせ方をしちゃって揉めちゃったりみたいなことも結構ありましたね。
うん。今にして思えば最悪の人間だったなと本当に20代の頃は思いますね。
10:59
自分は自分、他人は他人。
正直、自分の性質を乗り換えたとは今でも言いがたい部分があります。でもだいぶ折り合いをつけられるようになりました。
その理由を考えると、色々な生き方をしている友人ができたのは大きいです。これは私が東京に住んでいる編集者としてキャリアを始めて、文筆家になったことで、さらにフットワーク軽く色々な場所に出かけられたっていうのが良かったんだと思います。
世の中には独身の人もたくさんいますし、お金を稼ぐことや有名になることに価値を置いてない人っていうのもたくさんいるわけですよね。価値観にとらわれない人間関係を作ったことで、自分は自分、他人は他人、お金や名声がすべてじゃないと、半分ぐらいは本気で思えるようになりましたね。
11:45
フェミニズムとの邂逅。
もう一つ大きかったなって思うのが、フェミニズムを学んだことですね。
あの女性の生き方だったりについて文章を発信する中で、フェミニズムの観点、男女平等の観点とか、その女性についてのステレオタイプをこの人の文章は固定化するんじゃないかみたいな、こう批評をいただくこととかも増えて、世間的にあの「MeToo」の流れなどもあって、女性と男性の不平等について何か声を上げていこうっていう動きがある中で、文筆家という文章を書いて世に発信している仕事をしている身としても、こう何にどう、こう声を上げたりとか、世の中の色々なことについて細かく自問自答することが増えたんですよね。
12:33
「こうあるべき」をほどいていく。
フェミニズムというと、男女の性差を是正していく社会運動という側面が強いと思うし、事実そこも私も支持していて、そこから興味を持ったんですけれども、女性だから、男性だからという、ステレオタイプがいかに社会的に作り上げられているかっていう話って、実は大きく広げていくと、性別に限らないわけですよね。日本人だからとか、若いからとか、もう年取ったからこういうの無理だよね、みたいに、結構ステレオタイプのイメージで、こう諦めてしまってることって色々あると思うし、もっと広げていくと、世間で思われている幸せとか、あの「良い」とされてることっていうのも、別に絶対的な真偽じゃなくて、人それぞれだよねっていう考え方に広がっていくんですよね。
13:23
キルジョイという希望。
私がフェミニズムを勉強した中で、すごくこういいなって思ったのが、サラ・アーメッド(Sara Ahmed)というフェミニストの学者の方がいましてですね、この人は、フェミニストというのは、キルジョイする存在、キルジョイ(Killjoy)っていうのは、他人の喜びを奪ったり、興覚めさせたりする存在である、と言ってるんですね。でもこれって要は、なんかすごいネガティブなイメージに聞こえるかもしんないけれども、こう世間から押し付けられる幸せとか、良かれと思って、あなたに良かれと思って言ってるんだよ、みたいな、規範的な考え方に対してわきまえない人であるというふうに言い換えられると思うんですよね。
14:03
幸せの鋳型を手放して。
どうして自分は世間の言う幸せにうまくはまれないんだろうと悩んでいた時期もありましたが、その幸せっていうのも、あのまある種の鋳型、こう金属をね、あの固める時のあの鋳型ですね。あの画一的なものなんだなって思えるようになってから、だいぶ生きやすくなりましたね。本や学問は、自分が自分の人生を生きるだけでは得られない視点を通じて、人生を生きやすくしてくれるなあと思って、そのフェミニズムを学ぶようになってから、その学校の成績がどうとか、勉強がよくできると嬉しいとか、そういうことではない、こう学ぶっていうことの楽しさに触れられたなと思います。
14:45
治るのではなく、扱えるようになる。
私は今でもね、人と比べて落ち込んじゃうことはやっぱりあるんですよ。
でも比べてしまう自分を消そうとするより、そういう性質なんだなって思えるようになってきました。リカバリーストーリーというテーマで回復について今日は語るということだったんですけれども、私の中では回復って、傷が消えることではなくて、そういう傷跡も含めて、自分の扱い方が少しずつわかってくるっていうことなのかなと思ってます。
以上が私のリカバリーストーリーでした。皆さんのお役に立てれば幸いです。
ありがとうございました。