菅野久美子のリカバリーストーリー。
“母を捨てること”とリカバリーストーリー。
リカバリーストーリーの趣旨に賛同し、菅野久美子さんが、ご自身のリカバリーストーリーをお話くださいました!
00:50 太陽の光は生還の証だった。
01:08 西側の部屋に隠された痛み。
01:57 水の中で覚えた抵抗できない絶望。
02:40 暗闇に沈む日常と再会した太陽の光。
03:43 過酷な一日を生き抜いた証。
04:33 叫び。
05:07 母の痛みを抱えたまま走る車。
05:57 母の理想に消えた私らしさ。
06:37 異物を見逃さない教室。
07:17 布団の中で教室から遠ざかっていく日々。
08:07 母の敷いた線路からこぼれ落ちた私。
08:38 母の関心を失って初めて見えた自分の人生。
09:05 ページの向こうにいたかっこいい大人。
09:49 声なき声をすくう人になる。
10:14 母の期待の外で私は初めて息をした。
10:49 孤独死の現場で出会う過去の自分。
11:39 沈黙の奥にある声をすくい上げる。
12:32 華やかさよりも埋もれた声のそばへ。
12:59 母を捨てる。
13:35 母のまなざしを脱ぎ私として息をする。
14:22 太陽の光。
スクリプト・文字起こし
リカバリーストーリーは、さまざまな人に悩みから立ち直った経験や、日頃のストレス解消法を自由に話してもらうポッドキャストです。 今回のテーマは、私のリカバリーストーリーです。こんにちは、菅野久美子です。私はノンフィクション作家をしています。「超孤独死社会」「生きづらさ時代」「母を捨てる」などといった、社会問題や生きづらさ、いわゆる毒親などをテーマにした本をこれまで書いてきました。 さて、これからお話しすることは、トラウマに関わる話なので、苦手な方はスキップしたり、聞いていて辛くなったら無理しないでくださいね。 ただ、私のリカバリーという物語からは、切っては切り離せない体験ですので、身の上に起こったことをありのままお話させていただきます。
00:50
太陽の光は生還の証だった 。
私が物心ついたときに見えたのは光でした。鮮やかで、まばゆいばかりの光、太陽の光。なぜ光が私の脳裏に焼きついているのか、それはあの光、あの太陽が、私がこの世界に生還した証だったからなんです。私はいわゆる虐待サバイバーです。
01:08
西側の部屋に隠された痛み。
物心ついた幼少期から、実の母に肉体的、精神的なありとあらゆる虐待を受けて育ってきました。 私は専業主婦の母、小学校の教師の父のもとで生まれました。 幼少期、私の家族は福島の借家に住んでいたのですが、母の虐待が行われるのは、決まって西側の部屋でした。 西側には浴室と父の書斎があります。 なぜ西側だったのか、それは、母が私への虐待を誰にも知られたくなかったし、知られるわけにはいかなかったから。 だから、家の奥まった場所にある、この2か所で虐待を繰り返していたんだと思います。
01:57
水の中で覚えた抵抗できない絶望。
母の虐待は、いつだって気まぐれでした。 私が幼稚園から帰ってくるなり、浴室に手を引っ張られて引きずられ、風呂の水の中にバシャンバシャンと頭を沈められる。 「お母さんやめて」と叫んでも、母の巨大な手や、私の小さな頭をつかんで離さない。 そんなとき私は、母に謝らなきゃという気持ちだけでいっぱいいっぱいでした。 水面に顔を出せたときに「ごめんなさい」と言わなきゃ。でも「ごめんなさ」で再び母の手が水の中につけられる。 小さな体ゆえに抵抗できない。そのどうしようもない絶望感は、今も深く心の奥底に残っています。
02:40
暗闇に沈む日常と再会した太陽の光。
水面に浮上して息をつけたとき、母の虐待からようやく解放されたとき、浴室の窓からこぼれ落ちる光が、あの太陽だったんです。 父の書斎での虐待も、今振り返るとさらにおぞましいものでした。押し入れの中にある毛布でぐるぐる巻きにされる。呼吸が薄くなり、薄れゆく意識の中で、あまりの苦しさからこのまま楽になりたい、消えてしまいたいと子供心に感じたこともあります。 真っ暗な毛布の中から、息もからがら解放されると、すりガラスから見えたのは黄金色の夕日です。 太陽と再会できない日もありました。それは私が気を失っていたからです。 そんなときは、意識が戻ると真っ暗で、まどろみの中、朝が来て再び幼稚園に送り出される。帰ってくるとまた母が私に手をかける。いつも死と隣り合わせ。それが私にとって当たり前の日常です。
03:43
過酷な一日を生き抜いた証 。
ただ、幼少期の私はその瞬間、瞬間を懸命に生き抜くだけで精一杯でした。ただ一つ確かなのは、目が覚めると、あの眩しい太陽とともに、確かに私は呼吸をしているという事実です。太陽の光は、過酷な1日を生き抜いた証でした。体が大きくなるにつれて、命に関わるような肉体的虐待は少なくなりました。しかし、体罰は当たり前で、3歳から習わされたピアノの音が少しでも外れると、定規で叩かれたりしたものです。 思えばあの時この時、生死を分けた瞬間が、私にとってはいく度となくありました。もし一歩間違っていたら、いなかったかもしれない命を、私は生きています。
04:33
叫び。
例えば、母とともに、私は祖父母が住む実家にたびたび帰省していました。その帰り道、母はよく精神的に不安定になりました。なんで私のことを愛してくれなかったの?母は祖父母に向かってそう泣きじゃくりながら問い詰めるのです。 そんな時、私は母が小さな女の子に見えました。だから私はそんな母を抱きしめました。それは母の叫びだったからです。
そしてそれは、私の叫びでもありました。 だから、私と母の傷は同じです。
05:07
母の痛みを抱えたまま走る車 。
考えてみれば、母も愛に飢えて育ったのでしょう。 母は五人兄弟の四番目で、ほとんどネグレクトのような感じだったそうです。 実家の帰り道、母はたびたび私と一緒に無理心中を試みました。「お母さんはもう死んでもいい」と大声をあげながら、真っ暗闇の山道で車を全力疾走させ、ジグザグに走行させて、崖に突っ込もうとするのです。 幼い私は、そんな母の行動に怯えながらも、なす術がありませんでした。でもある時思ったんです。このまま母と一緒に死ねたらと、二人とも楽になるのにと、私は母が大好きだったし、母の苦しみも痛いほどには分かっていた。 だから今も昔も、母を心底憎んだことはありません。
05:57
母の理想に消えた私らしさ。
しかし、私の人生そのものは、その後は暗雲が立ち込めました。 私は小学校の頃から、激しいいじめにあってきました。 それはいわゆる普通の女の子ではなかったからです。 いい大学に入って社会でバリバリ働く女性になること、それが専業主婦だった母の望みでした。それには私が女の子や、いや女になることは邪魔だった。だから母は私が普通の女の子として生きる目を徹底的に奪ってきました。 私は髪を伸ばすことも許されず、スポーツ狩りでいつも親戚の男の子のお下がりの服を着ていました。
06:37
異物を見逃さない教室。
そんな母のマリオネットだった私は、クラスではひときわ浮いた存在だったのでしょう。子供は大人より時として残酷です。自分たちと異なるもの、弱いもの、異物を見抜く嗅覚は凄まじい。 誰よりも異色な存在だった私は、クラス全員からいじめの標的になるのに時間はかかりませんでした。 母の愛を受けずに育ったことで、極端に自己肯定感が低いのもいじめの原因だったはずです。
クラス全員から無視に始まり、男子からは「死ね」「ゴミクズ」などと罵られたり、 首元をつかまれて罵倒されたりしました。
07:17
布団の中で教室から遠ざかっていく日々 。
中学は県内でも有数の私立中学に入学しましたが、そこでも女子からいじめのターゲットになってしまいました。私は次第に学校に行くのが怖くなりました。 朝起きると身が縮んで布団から起き上がることができないんです。 心は学校に行かなきゃと思っていても、体がついていかない。そしてついに中学一年の終わりに限界を迎えました。私は完全に引きこもりになってしまったのです。 引きこもりで辛かったのは、なによりも周囲の目です。昼夜逆転した生活で、学校の勉強も完全に遅れています。パジャマ姿で家から出られない。なにより自分は社会にとっていらない人間だ、そんな孤独感に襲われて、半分死んだような日々を過ごすのです。
08:07
母の敷いた線路からこぼれ落ちた私 。
考えてみれば、私は母の期待に応えることだけを支えに生きてきました。 あんなにひどいことをした母と思われるかもしれませんが、私にとっては唯一無二で絶対的な存在です。 そんな母の望む人生から脱落した私は生きた屍でしかない。自分にもはや生きている価値はない。引きこもりで辛かったのは、希死念慮が強くなったことです。 幼少期はあれだけ生きるのに精一杯だったのに。今度は死んだほうがマシだと思うのです。
08:38
母の関心を失って初めて見えた自分の人生 。
それで何度も自死を試みました。でも寸前のところで死ぬことはできませんでした。 引きこもりになり、母の望むエリートコースから外れてしまった私は、関心が薄れたようでした。 母にとって、私は用済みのお荷物にすぎなかったからです。
しかし皮肉なことに、それは自分で人生を考える一歩にもなりました。
09:05
ページの向こうにいたかっこいい大人。
まずは本との出会いです。 学校に行けない私にとって、唯一社会とのつながりが本を読むことでした。孤独な14歳の私に寄り添ってくれたのは、小説の中の素敵な登場人物たちです。 山田詠美さんや桜井亜美さん、村上龍さんなどの小説は特に読み漁りました。私の世代は、酒鬼薔薇事件、キレる17歳、援助交際、いわば家族問題がここぞとばかりに噴出した世代です。 大人の矛盾や抑圧された子供たちの声を描こうとする野心的な小説がたくさん世に出ました。本の世界には、そんな繊細な子供たちに寄り添ってくれるかっこいい大人たちがいた。
09:49
声なき声をすくう人になる 。
私はまだ見ぬそんな大人たちが唯一の心の支えであり、希望でした。
私はいつしか彼らのように、自分自身が声なき人の声を拾い、救う側になれたらと思うようになりました。 そして母の望む人生からリタイアした私は、ようやく本を読んだり書くことが好きなのだと気がついたんです。
10:14
母の期待の外で私は初めて息をした。
その後、私は地元でも一番偏差値が低いと言われる高校にかろうじて滑り込みました。母に言わせると、いわゆる落ちこぼれという子が多い高校でしたが、だからこそみんなが優しく、そこでいじめやなく、私は初めて女の子の友達ができました。 その後、学科試験のない芸術大学に進学し、卒業後は編集者を経て、念願のフリーライターになりました。
その後は日々、忙しく取材と執筆に明け暮れる日々を送っていました。
10:49
孤独死の現場で出会う過去の自分。
いわゆる特殊清掃と呼ばれる仕事を知ったのは、今から10年ほど前です。 自死や殺人、孤独死などの起こった部屋に最後に向き合い、清掃するのが特殊清掃です。 特殊清掃は過酷な仕事です。ウジが這い回り、ブクブクと太ったハエが顔に激突する、鼻の奥までこびりつくい、凄まじい匂い、人型、灼熱の熱さ。しかし私が何よりも驚いたのは、特殊清掃のほとんどが孤独死だという現実です。中には引きこもり、最後餓死したと思われる痛ましい現場にも遭遇したことがあります。私はその現実に衝撃を受けました。それはかつての私自身を彷彿をさせたからです。
11:39
沈黙の奥にある声をすくい上げる 。
取材を重ねると、孤独死した人の中には、私のように親子関係に問題を抱えていたり、社会でつまずいたことがある人が多くいました。 親や社会と折り合いがつかず、すべての縁が切れて引きこもり、ゴミ屋敷となり、誰にも頼れず命を落としてしまう。そして、何週間、何ヶ月も発見されない。それは、虐待サバイバーで生きづらさを抱えた私にとって、まさに自分事として迫りくる問題でした。 私は必死に孤独した人の現場やゴミ屋敷に生きる人々を取材し、社会に埋もれた人々の声なき声を本や記事にしました。私の企画に関心を持ってくれた編集者と巡り合い、立て続けに孤独・孤立に関する本を出版することができたのです。
12:32
華やかさよりも、埋もれた声のそばへ。
考えてみれば、フリーライターとして私は独立して以来、書き手としていろいろなお仕事をいただいてきました。芸能人や著名人といった華やかな世界に生きる方々のインタビューのお仕事もありましたが、引き受けることはありませんでした。 私の関心は、いつだって声なき姿勢の人々でした。それは、かつての私が同じ道を辿ったかもしれないと、他人事ではなかったからです。
12:59
母を捨てる。
そんな私の最新作は『母を捨てる』という自伝です。衝撃的なタイトルかもしれませんが、この本では私自身のリカバリーストーリーを12万字にわたり綴ったものです。今、私は母と絶縁しています。 これまでお話ししたのはほんの一部ですが、本書では私が母と絶縁するまでのすべてを、隠すことなくすべてさらけ出しています。 もし、私と同じく、親で苦しんでいる人がいれば、親と離れるという選択肢があってもいい。それを私の人生をもって伝えたかった。
13:35
母のまなざしを脱ぎ私として息をする 。
私にとって、自分の人生を生きるとは、私自身が呼吸しやすい心と体を取り戻すことです。この当たり前が、虐待サバイバーの私にとってはとてつもなく難しい。 幼少期から母に命を左右されてきたトラウマからか、私の頭の中には見えない母がいて、私を監視し、縛り上げているような感覚が常に付きまとっています。 その後遺症は、大人になってからも私の心身を長年にわたり苦しめてきました。しかし、この本を書き、母と縁を切ってからは、どんな私でも私であることを受け入れようと決めました。母の望んだ完璧な人生は生きられなかったけれど、そんなダメな私も認めてあげようと。
14:22
太陽の光。
私は今も朝起きて、あの時から変わらず、ずっと毎朝光に出会っています。まぶしくて、優しくて、まばゆい太陽の光。それは私の命の輝きそのもの。それぞれの命に与えられた誰にも奪うことができないもの。母の虐待の後遺症なのか、睡眠薬に頼らないと眠れない日々が続いています。だけど今日、あの光に出会える。それだけでいい。それだけで十分。そんな自分を受け入れようと思うようになりました。 外を歩くと、風が棚引いて頬を撫でる。髪が太陽の光で温かくなる。どんな私であっても、一歩踏み出すと、太陽の光はそこにあるし、自然は私を包んでくれる。私の心と体を生きること。それがこれからも続く私の人生の目標です。
以上が私のリカバリーストーリーでした。
00:50
太陽の光は生還の証だった 。
私が物心ついたときに見えたのは光でした。鮮やかで、まばゆいばかりの光、太陽の光。なぜ光が私の脳裏に焼きついているのか、それはあの光、あの太陽が、私がこの世界に生還した証だったからなんです。私はいわゆる虐待サバイバーです。
01:08
西側の部屋に隠された痛み。
物心ついた幼少期から、実の母に肉体的、精神的なありとあらゆる虐待を受けて育ってきました。 私は専業主婦の母、小学校の教師の父のもとで生まれました。 幼少期、私の家族は福島の借家に住んでいたのですが、母の虐待が行われるのは、決まって西側の部屋でした。 西側には浴室と父の書斎があります。 なぜ西側だったのか、それは、母が私への虐待を誰にも知られたくなかったし、知られるわけにはいかなかったから。 だから、家の奥まった場所にある、この2か所で虐待を繰り返していたんだと思います。
01:57
水の中で覚えた抵抗できない絶望。
母の虐待は、いつだって気まぐれでした。 私が幼稚園から帰ってくるなり、浴室に手を引っ張られて引きずられ、風呂の水の中にバシャンバシャンと頭を沈められる。 「お母さんやめて」と叫んでも、母の巨大な手や、私の小さな頭をつかんで離さない。 そんなとき私は、母に謝らなきゃという気持ちだけでいっぱいいっぱいでした。 水面に顔を出せたときに「ごめんなさい」と言わなきゃ。でも「ごめんなさ」で再び母の手が水の中につけられる。 小さな体ゆえに抵抗できない。そのどうしようもない絶望感は、今も深く心の奥底に残っています。
02:40
暗闇に沈む日常と再会した太陽の光。
水面に浮上して息をつけたとき、母の虐待からようやく解放されたとき、浴室の窓からこぼれ落ちる光が、あの太陽だったんです。 父の書斎での虐待も、今振り返るとさらにおぞましいものでした。押し入れの中にある毛布でぐるぐる巻きにされる。呼吸が薄くなり、薄れゆく意識の中で、あまりの苦しさからこのまま楽になりたい、消えてしまいたいと子供心に感じたこともあります。 真っ暗な毛布の中から、息もからがら解放されると、すりガラスから見えたのは黄金色の夕日です。 太陽と再会できない日もありました。それは私が気を失っていたからです。 そんなときは、意識が戻ると真っ暗で、まどろみの中、朝が来て再び幼稚園に送り出される。帰ってくるとまた母が私に手をかける。いつも死と隣り合わせ。それが私にとって当たり前の日常です。
03:43
過酷な一日を生き抜いた証 。
ただ、幼少期の私はその瞬間、瞬間を懸命に生き抜くだけで精一杯でした。ただ一つ確かなのは、目が覚めると、あの眩しい太陽とともに、確かに私は呼吸をしているという事実です。太陽の光は、過酷な1日を生き抜いた証でした。体が大きくなるにつれて、命に関わるような肉体的虐待は少なくなりました。しかし、体罰は当たり前で、3歳から習わされたピアノの音が少しでも外れると、定規で叩かれたりしたものです。 思えばあの時この時、生死を分けた瞬間が、私にとってはいく度となくありました。もし一歩間違っていたら、いなかったかもしれない命を、私は生きています。
04:33
叫び。
例えば、母とともに、私は祖父母が住む実家にたびたび帰省していました。その帰り道、母はよく精神的に不安定になりました。なんで私のことを愛してくれなかったの?母は祖父母に向かってそう泣きじゃくりながら問い詰めるのです。 そんな時、私は母が小さな女の子に見えました。だから私はそんな母を抱きしめました。それは母の叫びだったからです。
そしてそれは、私の叫びでもありました。 だから、私と母の傷は同じです。
05:07
母の痛みを抱えたまま走る車 。
考えてみれば、母も愛に飢えて育ったのでしょう。 母は五人兄弟の四番目で、ほとんどネグレクトのような感じだったそうです。 実家の帰り道、母はたびたび私と一緒に無理心中を試みました。「お母さんはもう死んでもいい」と大声をあげながら、真っ暗闇の山道で車を全力疾走させ、ジグザグに走行させて、崖に突っ込もうとするのです。 幼い私は、そんな母の行動に怯えながらも、なす術がありませんでした。でもある時思ったんです。このまま母と一緒に死ねたらと、二人とも楽になるのにと、私は母が大好きだったし、母の苦しみも痛いほどには分かっていた。 だから今も昔も、母を心底憎んだことはありません。
05:57
母の理想に消えた私らしさ。
しかし、私の人生そのものは、その後は暗雲が立ち込めました。 私は小学校の頃から、激しいいじめにあってきました。 それはいわゆる普通の女の子ではなかったからです。 いい大学に入って社会でバリバリ働く女性になること、それが専業主婦だった母の望みでした。それには私が女の子や、いや女になることは邪魔だった。だから母は私が普通の女の子として生きる目を徹底的に奪ってきました。 私は髪を伸ばすことも許されず、スポーツ狩りでいつも親戚の男の子のお下がりの服を着ていました。
06:37
異物を見逃さない教室。
そんな母のマリオネットだった私は、クラスではひときわ浮いた存在だったのでしょう。子供は大人より時として残酷です。自分たちと異なるもの、弱いもの、異物を見抜く嗅覚は凄まじい。 誰よりも異色な存在だった私は、クラス全員からいじめの標的になるのに時間はかかりませんでした。 母の愛を受けずに育ったことで、極端に自己肯定感が低いのもいじめの原因だったはずです。
クラス全員から無視に始まり、男子からは「死ね」「ゴミクズ」などと罵られたり、 首元をつかまれて罵倒されたりしました。
07:17
布団の中で教室から遠ざかっていく日々 。
中学は県内でも有数の私立中学に入学しましたが、そこでも女子からいじめのターゲットになってしまいました。私は次第に学校に行くのが怖くなりました。 朝起きると身が縮んで布団から起き上がることができないんです。 心は学校に行かなきゃと思っていても、体がついていかない。そしてついに中学一年の終わりに限界を迎えました。私は完全に引きこもりになってしまったのです。 引きこもりで辛かったのは、なによりも周囲の目です。昼夜逆転した生活で、学校の勉強も完全に遅れています。パジャマ姿で家から出られない。なにより自分は社会にとっていらない人間だ、そんな孤独感に襲われて、半分死んだような日々を過ごすのです。
08:07
母の敷いた線路からこぼれ落ちた私 。
考えてみれば、私は母の期待に応えることだけを支えに生きてきました。 あんなにひどいことをした母と思われるかもしれませんが、私にとっては唯一無二で絶対的な存在です。 そんな母の望む人生から脱落した私は生きた屍でしかない。自分にもはや生きている価値はない。引きこもりで辛かったのは、希死念慮が強くなったことです。 幼少期はあれだけ生きるのに精一杯だったのに。今度は死んだほうがマシだと思うのです。
08:38
母の関心を失って初めて見えた自分の人生 。
それで何度も自死を試みました。でも寸前のところで死ぬことはできませんでした。 引きこもりになり、母の望むエリートコースから外れてしまった私は、関心が薄れたようでした。 母にとって、私は用済みのお荷物にすぎなかったからです。
しかし皮肉なことに、それは自分で人生を考える一歩にもなりました。
09:05
ページの向こうにいたかっこいい大人。
まずは本との出会いです。 学校に行けない私にとって、唯一社会とのつながりが本を読むことでした。孤独な14歳の私に寄り添ってくれたのは、小説の中の素敵な登場人物たちです。 山田詠美さんや桜井亜美さん、村上龍さんなどの小説は特に読み漁りました。私の世代は、酒鬼薔薇事件、キレる17歳、援助交際、いわば家族問題がここぞとばかりに噴出した世代です。 大人の矛盾や抑圧された子供たちの声を描こうとする野心的な小説がたくさん世に出ました。本の世界には、そんな繊細な子供たちに寄り添ってくれるかっこいい大人たちがいた。
09:49
声なき声をすくう人になる 。
私はまだ見ぬそんな大人たちが唯一の心の支えであり、希望でした。
私はいつしか彼らのように、自分自身が声なき人の声を拾い、救う側になれたらと思うようになりました。 そして母の望む人生からリタイアした私は、ようやく本を読んだり書くことが好きなのだと気がついたんです。
10:14
母の期待の外で私は初めて息をした。
その後、私は地元でも一番偏差値が低いと言われる高校にかろうじて滑り込みました。母に言わせると、いわゆる落ちこぼれという子が多い高校でしたが、だからこそみんなが優しく、そこでいじめやなく、私は初めて女の子の友達ができました。 その後、学科試験のない芸術大学に進学し、卒業後は編集者を経て、念願のフリーライターになりました。
その後は日々、忙しく取材と執筆に明け暮れる日々を送っていました。
10:49
孤独死の現場で出会う過去の自分。
いわゆる特殊清掃と呼ばれる仕事を知ったのは、今から10年ほど前です。 自死や殺人、孤独死などの起こった部屋に最後に向き合い、清掃するのが特殊清掃です。 特殊清掃は過酷な仕事です。ウジが這い回り、ブクブクと太ったハエが顔に激突する、鼻の奥までこびりつくい、凄まじい匂い、人型、灼熱の熱さ。しかし私が何よりも驚いたのは、特殊清掃のほとんどが孤独死だという現実です。中には引きこもり、最後餓死したと思われる痛ましい現場にも遭遇したことがあります。私はその現実に衝撃を受けました。それはかつての私自身を彷彿をさせたからです。
11:39
沈黙の奥にある声をすくい上げる 。
取材を重ねると、孤独死した人の中には、私のように親子関係に問題を抱えていたり、社会でつまずいたことがある人が多くいました。 親や社会と折り合いがつかず、すべての縁が切れて引きこもり、ゴミ屋敷となり、誰にも頼れず命を落としてしまう。そして、何週間、何ヶ月も発見されない。それは、虐待サバイバーで生きづらさを抱えた私にとって、まさに自分事として迫りくる問題でした。 私は必死に孤独した人の現場やゴミ屋敷に生きる人々を取材し、社会に埋もれた人々の声なき声を本や記事にしました。私の企画に関心を持ってくれた編集者と巡り合い、立て続けに孤独・孤立に関する本を出版することができたのです。
12:32
華やかさよりも、埋もれた声のそばへ。
考えてみれば、フリーライターとして私は独立して以来、書き手としていろいろなお仕事をいただいてきました。芸能人や著名人といった華やかな世界に生きる方々のインタビューのお仕事もありましたが、引き受けることはありませんでした。 私の関心は、いつだって声なき姿勢の人々でした。それは、かつての私が同じ道を辿ったかもしれないと、他人事ではなかったからです。
12:59
母を捨てる。
そんな私の最新作は『母を捨てる』という自伝です。衝撃的なタイトルかもしれませんが、この本では私自身のリカバリーストーリーを12万字にわたり綴ったものです。今、私は母と絶縁しています。 これまでお話ししたのはほんの一部ですが、本書では私が母と絶縁するまでのすべてを、隠すことなくすべてさらけ出しています。 もし、私と同じく、親で苦しんでいる人がいれば、親と離れるという選択肢があってもいい。それを私の人生をもって伝えたかった。
13:35
母のまなざしを脱ぎ私として息をする 。
私にとって、自分の人生を生きるとは、私自身が呼吸しやすい心と体を取り戻すことです。この当たり前が、虐待サバイバーの私にとってはとてつもなく難しい。 幼少期から母に命を左右されてきたトラウマからか、私の頭の中には見えない母がいて、私を監視し、縛り上げているような感覚が常に付きまとっています。 その後遺症は、大人になってからも私の心身を長年にわたり苦しめてきました。しかし、この本を書き、母と縁を切ってからは、どんな私でも私であることを受け入れようと決めました。母の望んだ完璧な人生は生きられなかったけれど、そんなダメな私も認めてあげようと。
14:22
太陽の光。
私は今も朝起きて、あの時から変わらず、ずっと毎朝光に出会っています。まぶしくて、優しくて、まばゆい太陽の光。それは私の命の輝きそのもの。それぞれの命に与えられた誰にも奪うことができないもの。母の虐待の後遺症なのか、睡眠薬に頼らないと眠れない日々が続いています。だけど今日、あの光に出会える。それだけでいい。それだけで十分。そんな自分を受け入れようと思うようになりました。 外を歩くと、風が棚引いて頬を撫でる。髪が太陽の光で温かくなる。どんな私であっても、一歩踏み出すと、太陽の光はそこにあるし、自然は私を包んでくれる。私の心と体を生きること。それがこれからも続く私の人生の目標です。
以上が私のリカバリーストーリーでした。