#2
ROTH BART BARON 三船雅也のリカバリーストーリー。
まだ僕も、リカバリーストーリーの途中だ。
こちらは、ROTH BART BARON 三船雅也さんのリカバリーストーリーです。
リカバリーストーリーの趣旨に賛同し、ROTH BART BARON 三船雅也さんが、ご自身のリカバリーストーリーをお話くださいました。
01:33 明るくてオプティミスティックだったはずが、高校に行けなくなってしまった
04:05 ありがたかった母親と、人と違う生き方のしんどさと
06:29 授業でみんなの前で歌った、イエスタデイ
08:13 学校に行かなくても、僕にはすごい自由な時間がある
10:41 映画もギターも両方とりあえず好きだから、ずっととにかく何かを作ってみよう
11:57 音楽と友人が、僕を開いてくれた
13:27 そしたら、すごい周りが喜んでくれたんですよね
15:12 ギターの弦をポロンって爪弾いたその振動が、僕の心を救ってきた
16:35 音楽がニュートラルに戻してくれるから、大丈夫
18:42 ギターを自分の部屋でポロンと爪弾いている、他人に共有できない自分だけの喜びを、めちゃめちゃ大事にしてください
21:34 まだ僕も、リカバリーストーリーの途中だ。
スクリプト・文字起こし
00:00
リカバリーストーリーは、様々な人に悩みから立ち直った経験や日ごろのストレス解消法を自由に話してもらうポッドキャストです。初回のテーマは「私のリカバリーストーリー」です。
こんにちは、ROTH BART BARONの三船雅也です。ROTH BART BARONはですね、東京をベースに活動しているインディフォークロックバンドをやっております。最近ですと、アイナ・ジ・エンドと一緒にポカリスエットの曲をやらせていただいたりとか、『tiny desk concerts』という、藤井風君とか矢野顕子さんとかくるりとか出た番組ですね、ありがたいことにNHKのオフィスで演奏させていただいたりとか。DIYなバンドなんですけど、いろんな方に助けてもらいながらロックミュージックをお届けしております。さあ、そんな三船ですが、そうですね、リカバリー。ミュージシャンとしての三船雅也があるっていうのがもう、一つの壮大なリカバリーストーリーでして、今回はそのエピソードを皆さんに共有できて、まあちょっとでも、みんな悩んでると思うんですけど、何かの役に立てたらなと思いまして、聴いていただけたらと思います。参考になればいいんですが。
01:33
明るくてオプティミスティックだったはずが、高校に行けなくなってしまった
音楽を始めた大きな理由みたいなものが。もともと実はテニス少年で、小学校の時からずっとテニスやってて、テニスプレーヤーになりたいなと思ってたんですけど、中学校までものすごい順調に毎日毎日日焼けをしまくりながら、すごい先生に怒られつつテニスに身を注いでいたんですが。
高校に進学の時に、ちょっとその前ぐらいからですね、うちの両親がなかなかいろいろあって離婚することになり、今まで住んでた実家を離れなくちゃいけなくて、母と一緒に引っ越したんですけど、小さい弟もいたんですが。それを割と僕は明るくてオプティミスティックな人間なんで、「まあ大丈夫っしょ」みたいなタイプだったんですが、結構だんだん「あれ?」って言うか、だんだん体調悪くなってきて、友達にも心を開くことが難しくなってきたりして、なんかおかしいなみたいな。
そういう時に受験手前でそれが起きて、結構ガタガタになっちゃって、行きたい学校にも行けなかったし、まあでもテニス部ある学校それでもなんとか選んで入ったんですけど、その高校がめちゃめちゃ合わなくて(笑)。友達から何から全然合わなくて、テニス部もやる気ないし、みんなコートの掃除とかしないし、「あ、このままだとやばい」と思って、まあいろいろ工夫してたんですけど、やっぱり耐えられなくなっちゃって。で、ある時こう、いつも渋谷で乗り換えてたんですけど、渋谷まで駅行くと急に吐き気が出てきちゃって、ずっと渋谷駅のトイレにこもっちゃって出れないみたいな時間が続いちゃって、「あ、これはいよいよやばいな」と思って。行こうとするんだけど、学校に行けなくなっちゃって。その後電車に乗るとすごい怖くなっちゃうっていうか、もうなんか条件付けみたいな感じで、嫌な記憶と電車に乗った満員電車の感覚と、なんか自分の環境がうまくいかないこととか、いろんなことが多分そこに紐づいちゃって、電車がこう悪いものを運ぶ何かみたいな、多分人に圧迫されることなのかわかんないですけど、そこがすごく自分の中で結びついてしまって、結構電車に乗れなくなっちゃって、学校に9ヶ月ぐらいで行かなくなっちゃうんですよね。
04:05
ありがたかった母親と、人と違う生き方のしんどさと。
それでもうちの母親も割と気楽なタイプなんで、「まあいいんじゃない、やりたくなかったら」みたいなタイプだった。当時彼女もすごいつらーい時期だと思うんですけど、いわゆる普通のみんなが辿るであろう学校のルーティンというか人生のレールみたいなものから外れることを、結構許容してくれたのが、理解してくれたのがすごいありがたくてですね。「じゃあ行かなくていいか」って(高校を)辞めることにしたんですけど。
言うて、やっぱ人と違う生き方は。『耳をすませば』って、ジブリの映画があると思うんですけど、あそこでお父さんが主人公の小説家になりたい雫ちゃんに、お父さんがすごいいい言葉を言ってて、やっぱ「人と違う生き方はすごいしんどいぞ」と。「誰のせいにもできないから」っていうことを彼が言うんですけど、まさしくそのことが起きてですね。なかなかしんどいんですよ、人と違う生き方は。
だからこう、いわゆるひきこもり的なこともやってたんだけど、「外には出たいな」と思って、いわゆるファーストフードのお店とか地元のとこでバイトとかするんですけど、そうするとあるとき、同じ小学校の同級生だった、イケイケの高校生活を楽しんでる友達が女子とか連れてうちのお店来たりして、俺が提供したりするので、「この人生のギャップすげえな!」とか思いながら、なかなか苦しんだりしたんですが。「向こうは人生エンジョイしてるな、かたや俺は」みたいな。なんかそういうものに結構苦しんで。ずーっと胸のつかえが取れなかったし、相変わらず電車に乗るの怖いし、メンタルクリニックとかも通いながら悶々とというか、なんか自由でいいはずなのに自由な自分になれてないし、みんなは周りの日常を順調に誰かの役に立とうと頑張ってる中で、僕だけ停滞してるみたいなところにすごい違和感とか、なんていうのかな、モラトリアムの中にいる自分のその理不尽さというか、苛立ちもあるし、悲しみもあるし、なんかいつも他人と比べて自分を下げてしまうみたいな中にかれこれ2年ぐらいいたんすかね、なかなかしんどかったんですが。
06:29
授業でみんなの前で歌った、イエスタデイ
そういう時に、大好きなテニスもなくなっちゃって、自分の中でどうしたらいいのかって思った時に、何か一個は自分が本当に心の底から好きでいられて、誇りに思うっていうか、人より得意なことっていうありきたりな言い方も言えるかもしれないし、自分の中に柱を立てるみたいなものを一個持ちたいなと思ってて、「あ、このままこれをやって僕は死にたい」と思える何かを一個見つけなきゃなって思ってて。テニスやる前からずっと「ゴジラ」とか特撮の映画が好きだったんで、「映画監督もいいな」と思いながら。歌うこともすごい好きで、音楽の授業は筆記試験はいつも赤点でひどいもんだったんですけど(笑)、なぜか歌うと先生が喜んでくれるっていうことがそういえばあったなと思って、「これなんか自分の体に持っているものなのかもしれない」と思って。少ない高校生活の時で一個の気づきの中で、音楽の授業で『イエスタデイ』、ビートルズのポール・マッカートニーが作った『イエスタデイ』を一人絶対歌わなきゃいけない、みんなの前で、っていう授業があったんですけど、それをクラスメイトの前で音楽の授業で歌った時に、バッて場の空気が変わったんですよね。その時に、「あ、俺、割と音楽、人に伝わんのかも」みたいな。その時から「三船、面白いじゃん。」って見直してくれた記憶があって。それは唯一少ない高校生活で良かったことかもなとか思ってたりして(笑)。あの時の音楽の先生には非常に感謝してるんですけど。
08:13
学校に行かなくても、僕にはすごい自由な時間がある
そんなこともあって、「じゃあ、まあ、ギターとか始めてみるか」と思って。ちょうど今では仲良しになりましたけど、ASIAN KUNG-FU GENERATIONとかBUMP OF CHICKENとか、ゆずとか、ちょっとオルタナティブなアーティストがぼーん!といろいろ出てきて、サカナクションとかもそうですよね、いろんな先輩たちが出てきてた時代だったので、オルタナティブな音楽をやるのはちょっと面白いかもなって。ギターっていうものが相棒になったら、ちょっと自分の中で面白いかもなって。子どもの時のレゴを始めるようなつもりで、手遊びですよね最初は、だってそれが夢中になるかどうかわからないし。お年玉っていうかバイト代貯めて買ったんですけど。そこからどんどんこうのめり込むようになったし。学校に行かなくても僕にはすごい自由な時間があるので、レンタルDVDショップに通いまくって、CDから何から、名作と言われるものはとにかく映画からドラマから音楽からひたすら吸収していったんですよね。だから、素因数分解は分かんないけど、60年代フランス映画のヌーヴェルヴァーグは空で言えるぞみたいな生活を送ってて、小津映画はだいたい見たぞみたいな、黒澤も見たぞみたいなそういうね(笑)、もっと深いのも行きましたが、とにかくインプットで。多分、学校に行かなかったしクラスメイトもいないし、何か自分に足りないっていう飢餓感がそうさせたと思うんですけど、このままじゃダメだと思って。アニメとかもすごいオタクタイプじゃなかったけどひたすら見まくったし。レコードもとにかくもう、ブルースから、(ザ・ローリング)ストーンズ、ビートルズは全アルバム当たり前で、(ザ・)フーだったり、60年代50年代もそうだし、チャック・ベリーもそうだし、90年代の新しいロック、2000年代のロックもだいぶ網羅して聴いて。それでも飽き足らずにだんだん、当時はCDがすごい高かったので、レコードがめちゃめちゃ安かったんですよ、100円とかで買えたんで、親戚のおじさんから借りたレコードプレイヤーをですね(笑)、レコードを新宿のレコード屋さんとかで買い漁るみたいなのをしていました。
10:41
映画もギターも両方とりあえず好きだから、ずっととにかく何かを作ってみよう
で、「やっぱ音楽と、物を作ることが自分はすごい好きなんだな」っていうか、子供の時から。それでいて、なんか人の役に立っている感覚っていうか、自分が自分を許せる感覚みたいなものにすごい渇望していることに気づき、テニスもそうですし、自分を磨いて、それがすごい効果があって、試合に勝てたとか、チームの役に立てたとか。なんかこう、「音楽を通して自分が何か、物作りをすることで、学校に行ってない僕でも何かの役に立てんじゃないか、この世界の」みたいな。そうしたら自分がこの世に生きてていいんじゃないかっていう気持ちがすごいあって。じゃあそれは本気でやってみようかなっていうのを、なんか17歳ぐらいで勝手に思っちゃったんですよね。だから、普通は友達と一緒にゲームやる感覚で、一緒にバンドやろうよとか、軽音部で多分始めるはずなんですよ、コミュニケーションとして。僕の場合、これが、この企画がダメになったら俺の人生終わるな、みたいなつもりで(笑)、だんだん始めちゃって、「じゃあ映画かギターかどっちかにしよう」みたいな、で、「両方とりあえず好きだから、ずっととにかく何かを作ってみよう」と思って。
11:57
音楽と友人が、僕を開いてくれた
当時は大検って言ったかな、高校卒業認定試験って言ったかな(高等学校卒業程度認定試験)、とりあえず高校卒業資格は手に入ったから、美術大学に行ってみようと思って。映画の勉強しながら、音楽も18歳、19歳ぐらいですよね、20歳。その4年間はもう本当に音楽と映画をただひたすら作りまくる、みたいな生活をしてたんですけど。そこでもうありがたいことに、プライベートでも今でも本当に仲良い友人に恵まれて。だいたい映画なんか目指すやつはオタクばっかりなんで、音楽大好きだし、映画大好きだし、アニメ大好きなんで、無限に話せる、今でも仲良い親友ができたことも自分の中ですごい回復に大きくて。でも、貴重な青春の2年半ぐらいを全く他人とか同級生と喋らないで生きてきたんで、最初話し方が全然分かんなくて、コミュ障も大概で(笑)、なかなか心を開くのに結構3、4年費やしたんですけど、回復するのに。でもそのおかげで今ではこう、皆さんの前でこうして平気で話してるんですけど、当時の僕はもうなんかだいぶ、会話は成立してないようなタイプの人間でした。音楽と友人とその環境が開いてくれたんだと思います。
13:27
そしたら、すごい周りが喜んでくれたんですよね
で、なんか音楽続けていくうちに、ありがたいことに大学卒業ぐらいで、いろんなデモテープとかライブするようになって、バンドメイトもできて。そしたら、すごい周りが喜んでくれたんですよね。その小さな、「目の前の10人がすごい喜んでくれた」とか、最初の『イエスタデイ』で歌った時のクラスメイト20人ぐらいが「お前すげえじゃん」って言ってくれた感じで、ライブやったお客さんが「すごい感動しました!」とか、「すごい良かったです!」ってポロッと言ってくれるようになって。その輪がだんだんだんだん小さなステップで大きくなっていって、自分が作詞・作曲して作っていったものが、なんか誰かの気持ちを変えたりとか、心を動かしたりしてるっていう。階段を上るように一個一個それが手に入ることができて、だんだん世界と自分の接続面みたいな、接地面って言うんですかね、タイヤがこう地面を触れるように、音楽でまた社会と、長い6年ぐらいかけてですか、世界と一回断絶してから6年、もうちょっとかかったのかな、それぐらい経ってようやく音楽でまた繋がることができた感覚があって。そしたらいろんなレコード会社の人が、「三船君面白いから、一緒にやろうよ」って言ってくれる世界があって、ちょうど大学卒業時期だったんで、「あ、いいじゃん、俺就活しなくていいや」と思ったりとか(笑)、全然自分がスーツ着て働いている姿が全く想像できなかったし、僕の母親にも「あんたには無理だ」って言われてたので(笑)、じゃあまあこの道に行ってみようと思って。
15:12
ギターの弦をポロンって爪弾いたその振動が、僕の心を救ってきた
そういった中からこう…、ギターの弦をポロンって爪弾いたその振動が僕の心を救ってきたし、一行一行書いた歌詞が自分の心を、背中を押したとこもあるし。全然拙い、本当に演奏も下手くそだったし、歌詞も大したことないんですけど当時、歌も全然まだ下手だったし。でもそんなところから一つ一つ、なんか一人は感動してくれたっていうか、一番感動したのは自分自身だったっていうか。三船雅也自身をどうやって俺は感動させられるかっていうのを常に考えながら、いろんな曲を書きまくり、「まだお前響かないのか」って自分との対話の中から、積み上げていった何かが今の自分に活きてますし、でも今もやってることあんま変わんないんですけど、ずっとそれをなんか変わらず今おかげさまで、レコードデビューしたのが25、6歳の時だったんですけど、レコード会社とサイン、レーベルとサインして、レコードデビューしたのはそれぐらいで、早10年経ちましたけど、なんか10年間あんまり、14歳の時から変わってないというか(笑)。ギターをポロンと弾いて、なんかその振動に感動して、なんか自分で書く一行とか一言に感動し。
16:35
音楽がニュートラルに戻してくれるから、大丈夫
もちろん一生懸命書いた曲が全然伝わらなかったりとか、「なんで伝わらないんだろう」って思う時たくさんありますけど、でも少しずつその輪が広がっていって、今では自分で音楽フェスできるまでになって。大きなね、テレビの仕事だったり、大きなステージで演奏させてもらったり、アメリカ行ったり、中国ツアーしたり、フジロック(フェスティバル)出たりとか、なんかそういうことが一個一個繋がっていって。本当にバンって一気にリカバーすることは全くなかったんすけど、なめくじのようにノロノロノロノロ音楽を作っていたらですね、今こうやって皆さんの前で偉そうに話せるぐらいにまではなりました(笑)。
でも相変わらずタフなこともあって、まだ僕もね、完全に治ったというよりは、たまに深い絶望にドーンってもう絶望の淵に、鬱の淵に落ちて、そっから曲作ってまた這い上がってみたいな人生なんですけど、「結構大丈夫だな」と思ったし、あの…、なんか死ななくてよかったなって今では思います。自分が自分の命をやめてしまうっていう考えも多分、楽になりてえと思ったらそうなっちゃうと思うんですけど、一個の過程でしかないので、この世は全てを複合しているので、幸せな感情も悲しい感情も両方が同時に同じようにイコールで存在しているので、どっちかに傾きすぎた時に判断を下すと絶対間違えてしまうから。なんかまた振り子のように揺り戻しでニュートラルになるところをちゃんと、「音楽を通して待てる」っていうことを、10代の時に経験できて今は良かったなと思うし。だから逆に友達がそういうヘビーな状況になったことがない人で初めて30代になって激凹みしている友達とかに、「それ結構大丈夫だよ」って言えることを、自分の経験を分けてあげられるのはすごい良かったなと思いますね。
18:42
ギターを自分の部屋でポロンと爪弾いている、他人に共有できない自分だけの喜びを、めちゃめちゃ大事にしてください
だからまあ、辛い時は、本当に、なんていうのかな…。みんなに言いたいのは、ギターをポロンって自分の部屋でベッドルームでポロって弾いている状態って、まだ誰にも伝わってないし、他人にも共有できない自分だけの喜びみたいな小さな感情があるんですけど、その一番純度の高いそのポロンとした喜びみたいのを、あなた自身がめちゃめちゃ大事にしてください。
それはあなたにしかわからないし、僕にしかわかんないし。それがね結果転じて、なんかいろんな人と出会った瞬間とか、そのアイデアが雪だるまを山のてっぺんからコロコロ転がして大きくなるように、最初の雪玉は本当に純度が高くてあなたのものなんだけど、転がしていくとどんどん大きくなってって、最終的に木を倒せるぐらいは大きくなるので。全てのことはその小さな雪だるまから始まるので、転がす作業を決してやめないでほしいし、掌のその純度の高いものをまず大事にしてほしいなっていうか。僕はそれができてたおかげで今なんとか、それが音楽が広がっていくというか、その原石を、今ではバンドの仲間がいて友達がいて見に来てくれるファンのお客さんたちがいて、フェスの主催の人がいてとか、レコードレーベルの人がいて友達がこうやってわーっている中で、そのダイヤモンドみたいな原石を共有したおかげで、その光がどんどん強くなって強さを増して、多くの人に響いてるんだなと思いますし。
それが料理でも何でもいいと思うんですよ。散歩がやたらうまいとか、折り紙やたらすごいとか、なんか扉を閉じるあの音の小ささ一番すごいとか、そういうことでいいはずなんですけど、蝶々結びやたらうまいとか、本当に日常の中にクリエイティブがたくさん転がっているので。みんなにしか本人にしかわからないその小さな気づきみたいなもの、こっちの散歩の道のこの裏道が一番綺麗だとか、自分にしか発見できない何かみたいなのを、どんどん心の棚に集めて、宝物にしてもらえたら、多分それがどんどんあなたを助けてくれると思っております。僕もそれで助けられましたし。
21:34
まだ僕も、リカバリーストーリーの途中だ
ま、そうかな。そんな感じですね。まぁでも全然自分もまだ、全部回復してきたかなーって言うとそうでもなくて、回復の途中だなぁとも思っているので、皆さんもそれぞれのペースがあるし、ね、なんかあるじゃないですか、治ったと思ったらゴーンと落ちたりするし、いろいろあると思うので、皆さんもまだストーリーの過程だと思いますけども、僕もまあストーリーの途中ですし、音楽を通してまたみんなとそういうふうに、ストーリーを共有し合えたら楽しいなと思います。
いろいろ長く話しちゃいましたけど、聴いていただいてありがとうございました。以上が僕のリカバリーストーリーでした。
リカバリーストーリーは、様々な人に悩みから立ち直った経験や日ごろのストレス解消法を自由に話してもらうポッドキャストです。初回のテーマは「私のリカバリーストーリー」です。
こんにちは、ROTH BART BARONの三船雅也です。ROTH BART BARONはですね、東京をベースに活動しているインディフォークロックバンドをやっております。最近ですと、アイナ・ジ・エンドと一緒にポカリスエットの曲をやらせていただいたりとか、『tiny desk concerts』という、藤井風君とか矢野顕子さんとかくるりとか出た番組ですね、ありがたいことにNHKのオフィスで演奏させていただいたりとか。DIYなバンドなんですけど、いろんな方に助けてもらいながらロックミュージックをお届けしております。さあ、そんな三船ですが、そうですね、リカバリー。ミュージシャンとしての三船雅也があるっていうのがもう、一つの壮大なリカバリーストーリーでして、今回はそのエピソードを皆さんに共有できて、まあちょっとでも、みんな悩んでると思うんですけど、何かの役に立てたらなと思いまして、聴いていただけたらと思います。参考になればいいんですが。
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明るくてオプティミスティックだったはずが、高校に行けなくなってしまった
音楽を始めた大きな理由みたいなものが。もともと実はテニス少年で、小学校の時からずっとテニスやってて、テニスプレーヤーになりたいなと思ってたんですけど、中学校までものすごい順調に毎日毎日日焼けをしまくりながら、すごい先生に怒られつつテニスに身を注いでいたんですが。
高校に進学の時に、ちょっとその前ぐらいからですね、うちの両親がなかなかいろいろあって離婚することになり、今まで住んでた実家を離れなくちゃいけなくて、母と一緒に引っ越したんですけど、小さい弟もいたんですが。それを割と僕は明るくてオプティミスティックな人間なんで、「まあ大丈夫っしょ」みたいなタイプだったんですが、結構だんだん「あれ?」って言うか、だんだん体調悪くなってきて、友達にも心を開くことが難しくなってきたりして、なんかおかしいなみたいな。
そういう時に受験手前でそれが起きて、結構ガタガタになっちゃって、行きたい学校にも行けなかったし、まあでもテニス部ある学校それでもなんとか選んで入ったんですけど、その高校がめちゃめちゃ合わなくて(笑)。友達から何から全然合わなくて、テニス部もやる気ないし、みんなコートの掃除とかしないし、「あ、このままだとやばい」と思って、まあいろいろ工夫してたんですけど、やっぱり耐えられなくなっちゃって。で、ある時こう、いつも渋谷で乗り換えてたんですけど、渋谷まで駅行くと急に吐き気が出てきちゃって、ずっと渋谷駅のトイレにこもっちゃって出れないみたいな時間が続いちゃって、「あ、これはいよいよやばいな」と思って。行こうとするんだけど、学校に行けなくなっちゃって。その後電車に乗るとすごい怖くなっちゃうっていうか、もうなんか条件付けみたいな感じで、嫌な記憶と電車に乗った満員電車の感覚と、なんか自分の環境がうまくいかないこととか、いろんなことが多分そこに紐づいちゃって、電車がこう悪いものを運ぶ何かみたいな、多分人に圧迫されることなのかわかんないですけど、そこがすごく自分の中で結びついてしまって、結構電車に乗れなくなっちゃって、学校に9ヶ月ぐらいで行かなくなっちゃうんですよね。
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ありがたかった母親と、人と違う生き方のしんどさと。
それでもうちの母親も割と気楽なタイプなんで、「まあいいんじゃない、やりたくなかったら」みたいなタイプだった。当時彼女もすごいつらーい時期だと思うんですけど、いわゆる普通のみんなが辿るであろう学校のルーティンというか人生のレールみたいなものから外れることを、結構許容してくれたのが、理解してくれたのがすごいありがたくてですね。「じゃあ行かなくていいか」って(高校を)辞めることにしたんですけど。
言うて、やっぱ人と違う生き方は。『耳をすませば』って、ジブリの映画があると思うんですけど、あそこでお父さんが主人公の小説家になりたい雫ちゃんに、お父さんがすごいいい言葉を言ってて、やっぱ「人と違う生き方はすごいしんどいぞ」と。「誰のせいにもできないから」っていうことを彼が言うんですけど、まさしくそのことが起きてですね。なかなかしんどいんですよ、人と違う生き方は。
だからこう、いわゆるひきこもり的なこともやってたんだけど、「外には出たいな」と思って、いわゆるファーストフードのお店とか地元のとこでバイトとかするんですけど、そうするとあるとき、同じ小学校の同級生だった、イケイケの高校生活を楽しんでる友達が女子とか連れてうちのお店来たりして、俺が提供したりするので、「この人生のギャップすげえな!」とか思いながら、なかなか苦しんだりしたんですが。「向こうは人生エンジョイしてるな、かたや俺は」みたいな。なんかそういうものに結構苦しんで。ずーっと胸のつかえが取れなかったし、相変わらず電車に乗るの怖いし、メンタルクリニックとかも通いながら悶々とというか、なんか自由でいいはずなのに自由な自分になれてないし、みんなは周りの日常を順調に誰かの役に立とうと頑張ってる中で、僕だけ停滞してるみたいなところにすごい違和感とか、なんていうのかな、モラトリアムの中にいる自分のその理不尽さというか、苛立ちもあるし、悲しみもあるし、なんかいつも他人と比べて自分を下げてしまうみたいな中にかれこれ2年ぐらいいたんすかね、なかなかしんどかったんですが。
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授業でみんなの前で歌った、イエスタデイ
そういう時に、大好きなテニスもなくなっちゃって、自分の中でどうしたらいいのかって思った時に、何か一個は自分が本当に心の底から好きでいられて、誇りに思うっていうか、人より得意なことっていうありきたりな言い方も言えるかもしれないし、自分の中に柱を立てるみたいなものを一個持ちたいなと思ってて、「あ、このままこれをやって僕は死にたい」と思える何かを一個見つけなきゃなって思ってて。テニスやる前からずっと「ゴジラ」とか特撮の映画が好きだったんで、「映画監督もいいな」と思いながら。歌うこともすごい好きで、音楽の授業は筆記試験はいつも赤点でひどいもんだったんですけど(笑)、なぜか歌うと先生が喜んでくれるっていうことがそういえばあったなと思って、「これなんか自分の体に持っているものなのかもしれない」と思って。少ない高校生活の時で一個の気づきの中で、音楽の授業で『イエスタデイ』、ビートルズのポール・マッカートニーが作った『イエスタデイ』を一人絶対歌わなきゃいけない、みんなの前で、っていう授業があったんですけど、それをクラスメイトの前で音楽の授業で歌った時に、バッて場の空気が変わったんですよね。その時に、「あ、俺、割と音楽、人に伝わんのかも」みたいな。その時から「三船、面白いじゃん。」って見直してくれた記憶があって。それは唯一少ない高校生活で良かったことかもなとか思ってたりして(笑)。あの時の音楽の先生には非常に感謝してるんですけど。
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学校に行かなくても、僕にはすごい自由な時間がある
そんなこともあって、「じゃあ、まあ、ギターとか始めてみるか」と思って。ちょうど今では仲良しになりましたけど、ASIAN KUNG-FU GENERATIONとかBUMP OF CHICKENとか、ゆずとか、ちょっとオルタナティブなアーティストがぼーん!といろいろ出てきて、サカナクションとかもそうですよね、いろんな先輩たちが出てきてた時代だったので、オルタナティブな音楽をやるのはちょっと面白いかもなって。ギターっていうものが相棒になったら、ちょっと自分の中で面白いかもなって。子どもの時のレゴを始めるようなつもりで、手遊びですよね最初は、だってそれが夢中になるかどうかわからないし。お年玉っていうかバイト代貯めて買ったんですけど。そこからどんどんこうのめり込むようになったし。学校に行かなくても僕にはすごい自由な時間があるので、レンタルDVDショップに通いまくって、CDから何から、名作と言われるものはとにかく映画からドラマから音楽からひたすら吸収していったんですよね。だから、素因数分解は分かんないけど、60年代フランス映画のヌーヴェルヴァーグは空で言えるぞみたいな生活を送ってて、小津映画はだいたい見たぞみたいな、黒澤も見たぞみたいなそういうね(笑)、もっと深いのも行きましたが、とにかくインプットで。多分、学校に行かなかったしクラスメイトもいないし、何か自分に足りないっていう飢餓感がそうさせたと思うんですけど、このままじゃダメだと思って。アニメとかもすごいオタクタイプじゃなかったけどひたすら見まくったし。レコードもとにかくもう、ブルースから、(ザ・ローリング)ストーンズ、ビートルズは全アルバム当たり前で、(ザ・)フーだったり、60年代50年代もそうだし、チャック・ベリーもそうだし、90年代の新しいロック、2000年代のロックもだいぶ網羅して聴いて。それでも飽き足らずにだんだん、当時はCDがすごい高かったので、レコードがめちゃめちゃ安かったんですよ、100円とかで買えたんで、親戚のおじさんから借りたレコードプレイヤーをですね(笑)、レコードを新宿のレコード屋さんとかで買い漁るみたいなのをしていました。
10:41
映画もギターも両方とりあえず好きだから、ずっととにかく何かを作ってみよう
で、「やっぱ音楽と、物を作ることが自分はすごい好きなんだな」っていうか、子供の時から。それでいて、なんか人の役に立っている感覚っていうか、自分が自分を許せる感覚みたいなものにすごい渇望していることに気づき、テニスもそうですし、自分を磨いて、それがすごい効果があって、試合に勝てたとか、チームの役に立てたとか。なんかこう、「音楽を通して自分が何か、物作りをすることで、学校に行ってない僕でも何かの役に立てんじゃないか、この世界の」みたいな。そうしたら自分がこの世に生きてていいんじゃないかっていう気持ちがすごいあって。じゃあそれは本気でやってみようかなっていうのを、なんか17歳ぐらいで勝手に思っちゃったんですよね。だから、普通は友達と一緒にゲームやる感覚で、一緒にバンドやろうよとか、軽音部で多分始めるはずなんですよ、コミュニケーションとして。僕の場合、これが、この企画がダメになったら俺の人生終わるな、みたいなつもりで(笑)、だんだん始めちゃって、「じゃあ映画かギターかどっちかにしよう」みたいな、で、「両方とりあえず好きだから、ずっととにかく何かを作ってみよう」と思って。
11:57
音楽と友人が、僕を開いてくれた
当時は大検って言ったかな、高校卒業認定試験って言ったかな(高等学校卒業程度認定試験)、とりあえず高校卒業資格は手に入ったから、美術大学に行ってみようと思って。映画の勉強しながら、音楽も18歳、19歳ぐらいですよね、20歳。その4年間はもう本当に音楽と映画をただひたすら作りまくる、みたいな生活をしてたんですけど。そこでもうありがたいことに、プライベートでも今でも本当に仲良い友人に恵まれて。だいたい映画なんか目指すやつはオタクばっかりなんで、音楽大好きだし、映画大好きだし、アニメ大好きなんで、無限に話せる、今でも仲良い親友ができたことも自分の中ですごい回復に大きくて。でも、貴重な青春の2年半ぐらいを全く他人とか同級生と喋らないで生きてきたんで、最初話し方が全然分かんなくて、コミュ障も大概で(笑)、なかなか心を開くのに結構3、4年費やしたんですけど、回復するのに。でもそのおかげで今ではこう、皆さんの前でこうして平気で話してるんですけど、当時の僕はもうなんかだいぶ、会話は成立してないようなタイプの人間でした。音楽と友人とその環境が開いてくれたんだと思います。
13:27
そしたら、すごい周りが喜んでくれたんですよね
で、なんか音楽続けていくうちに、ありがたいことに大学卒業ぐらいで、いろんなデモテープとかライブするようになって、バンドメイトもできて。そしたら、すごい周りが喜んでくれたんですよね。その小さな、「目の前の10人がすごい喜んでくれた」とか、最初の『イエスタデイ』で歌った時のクラスメイト20人ぐらいが「お前すげえじゃん」って言ってくれた感じで、ライブやったお客さんが「すごい感動しました!」とか、「すごい良かったです!」ってポロッと言ってくれるようになって。その輪がだんだんだんだん小さなステップで大きくなっていって、自分が作詞・作曲して作っていったものが、なんか誰かの気持ちを変えたりとか、心を動かしたりしてるっていう。階段を上るように一個一個それが手に入ることができて、だんだん世界と自分の接続面みたいな、接地面って言うんですかね、タイヤがこう地面を触れるように、音楽でまた社会と、長い6年ぐらいかけてですか、世界と一回断絶してから6年、もうちょっとかかったのかな、それぐらい経ってようやく音楽でまた繋がることができた感覚があって。そしたらいろんなレコード会社の人が、「三船君面白いから、一緒にやろうよ」って言ってくれる世界があって、ちょうど大学卒業時期だったんで、「あ、いいじゃん、俺就活しなくていいや」と思ったりとか(笑)、全然自分がスーツ着て働いている姿が全く想像できなかったし、僕の母親にも「あんたには無理だ」って言われてたので(笑)、じゃあまあこの道に行ってみようと思って。
15:12
ギターの弦をポロンって爪弾いたその振動が、僕の心を救ってきた
そういった中からこう…、ギターの弦をポロンって爪弾いたその振動が僕の心を救ってきたし、一行一行書いた歌詞が自分の心を、背中を押したとこもあるし。全然拙い、本当に演奏も下手くそだったし、歌詞も大したことないんですけど当時、歌も全然まだ下手だったし。でもそんなところから一つ一つ、なんか一人は感動してくれたっていうか、一番感動したのは自分自身だったっていうか。三船雅也自身をどうやって俺は感動させられるかっていうのを常に考えながら、いろんな曲を書きまくり、「まだお前響かないのか」って自分との対話の中から、積み上げていった何かが今の自分に活きてますし、でも今もやってることあんま変わんないんですけど、ずっとそれをなんか変わらず今おかげさまで、レコードデビューしたのが25、6歳の時だったんですけど、レコード会社とサイン、レーベルとサインして、レコードデビューしたのはそれぐらいで、早10年経ちましたけど、なんか10年間あんまり、14歳の時から変わってないというか(笑)。ギターをポロンと弾いて、なんかその振動に感動して、なんか自分で書く一行とか一言に感動し。
16:35
音楽がニュートラルに戻してくれるから、大丈夫
もちろん一生懸命書いた曲が全然伝わらなかったりとか、「なんで伝わらないんだろう」って思う時たくさんありますけど、でも少しずつその輪が広がっていって、今では自分で音楽フェスできるまでになって。大きなね、テレビの仕事だったり、大きなステージで演奏させてもらったり、アメリカ行ったり、中国ツアーしたり、フジロック(フェスティバル)出たりとか、なんかそういうことが一個一個繋がっていって。本当にバンって一気にリカバーすることは全くなかったんすけど、なめくじのようにノロノロノロノロ音楽を作っていたらですね、今こうやって皆さんの前で偉そうに話せるぐらいにまではなりました(笑)。
でも相変わらずタフなこともあって、まだ僕もね、完全に治ったというよりは、たまに深い絶望にドーンってもう絶望の淵に、鬱の淵に落ちて、そっから曲作ってまた這い上がってみたいな人生なんですけど、「結構大丈夫だな」と思ったし、あの…、なんか死ななくてよかったなって今では思います。自分が自分の命をやめてしまうっていう考えも多分、楽になりてえと思ったらそうなっちゃうと思うんですけど、一個の過程でしかないので、この世は全てを複合しているので、幸せな感情も悲しい感情も両方が同時に同じようにイコールで存在しているので、どっちかに傾きすぎた時に判断を下すと絶対間違えてしまうから。なんかまた振り子のように揺り戻しでニュートラルになるところをちゃんと、「音楽を通して待てる」っていうことを、10代の時に経験できて今は良かったなと思うし。だから逆に友達がそういうヘビーな状況になったことがない人で初めて30代になって激凹みしている友達とかに、「それ結構大丈夫だよ」って言えることを、自分の経験を分けてあげられるのはすごい良かったなと思いますね。
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ギターを自分の部屋でポロンと爪弾いている、他人に共有できない自分だけの喜びを、めちゃめちゃ大事にしてください
だからまあ、辛い時は、本当に、なんていうのかな…。みんなに言いたいのは、ギターをポロンって自分の部屋でベッドルームでポロって弾いている状態って、まだ誰にも伝わってないし、他人にも共有できない自分だけの喜びみたいな小さな感情があるんですけど、その一番純度の高いそのポロンとした喜びみたいのを、あなた自身がめちゃめちゃ大事にしてください。
それはあなたにしかわからないし、僕にしかわかんないし。それがね結果転じて、なんかいろんな人と出会った瞬間とか、そのアイデアが雪だるまを山のてっぺんからコロコロ転がして大きくなるように、最初の雪玉は本当に純度が高くてあなたのものなんだけど、転がしていくとどんどん大きくなってって、最終的に木を倒せるぐらいは大きくなるので。全てのことはその小さな雪だるまから始まるので、転がす作業を決してやめないでほしいし、掌のその純度の高いものをまず大事にしてほしいなっていうか。僕はそれができてたおかげで今なんとか、それが音楽が広がっていくというか、その原石を、今ではバンドの仲間がいて友達がいて見に来てくれるファンのお客さんたちがいて、フェスの主催の人がいてとか、レコードレーベルの人がいて友達がこうやってわーっている中で、そのダイヤモンドみたいな原石を共有したおかげで、その光がどんどん強くなって強さを増して、多くの人に響いてるんだなと思いますし。
それが料理でも何でもいいと思うんですよ。散歩がやたらうまいとか、折り紙やたらすごいとか、なんか扉を閉じるあの音の小ささ一番すごいとか、そういうことでいいはずなんですけど、蝶々結びやたらうまいとか、本当に日常の中にクリエイティブがたくさん転がっているので。みんなにしか本人にしかわからないその小さな気づきみたいなもの、こっちの散歩の道のこの裏道が一番綺麗だとか、自分にしか発見できない何かみたいなのを、どんどん心の棚に集めて、宝物にしてもらえたら、多分それがどんどんあなたを助けてくれると思っております。僕もそれで助けられましたし。
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まだ僕も、リカバリーストーリーの途中だ
ま、そうかな。そんな感じですね。まぁでも全然自分もまだ、全部回復してきたかなーって言うとそうでもなくて、回復の途中だなぁとも思っているので、皆さんもそれぞれのペースがあるし、ね、なんかあるじゃないですか、治ったと思ったらゴーンと落ちたりするし、いろいろあると思うので、皆さんもまだストーリーの過程だと思いますけども、僕もまあストーリーの途中ですし、音楽を通してまたみんなとそういうふうに、ストーリーを共有し合えたら楽しいなと思います。
いろいろ長く話しちゃいましたけど、聴いていただいてありがとうございました。以上が僕のリカバリーストーリーでした。